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大阪地方裁判所 昭和37年(わ)2312号 判決 1967年5月11日

主文

被告人は無罪。

理由

(本件公訴事実)

本件公訴事実は、「被告人は大蔵事務官で大阪国税局管下堺税務署直税課所得税第二係員として所得税の課税業務に従事していたものであるが、昭和三三年二月一二日午前一〇時半頃、堺市北新町三丁目附近路上において、大阪商工団体連合会事務局長三国良雄に対し、かねて被告人が職務上堺税務署長より配布をうけていた大阪国税局直税部所得税課作成の秘密文書である「昭和三二年分営業庶業等所得標準率表」および「昭和三二年分所得業種目別効率表」各一冊を手交し、もつて被告人がその職務上知りえた税務行政上の秘密を漏らしたものである。」というのである。

(当裁判所の判断)

証拠(省略)を綜合すると、被告人は大蔵事務官で昭和二九年七月から大阪国税局管下堺税務署直税課所得税第二係員として所得税の課税業務に従事していたものであること、昭和三三年二月一二日堺市所在堺税務署附近路上において、大阪商工団体連合会幹部三国良雄に対し、かねて被告人が職務上堺税務署長より配布を受けていた大阪国税局直税部所得税課作成の「昭和三二年分営業庶業等所得標準率表」および「昭和三二年分所得業種目別効率表」各一冊を手交して各々その内容である標準率および効率を内報したこと、が認められる。

しかし、当裁判所は、被告人の右所為は国家公務員法第一〇〇条第一項に違反せず同法第一〇九条第一二号に該当しないものと考えるので以下にその理由を述べる。

第一本件標準率表および効率表の意義およびその形式的秘密性について。

証拠(省略)を綜合すると次の事実が認められる。

昭和三二年分営業庶業等所得標準率表(以下本件標準率表という)は同年分の営業庶業の年間総収入又は売上額(基本金額)に対する所得の比率(以下標準率という)の業種目別一覧表であり、甘味喫茶業、すし業等二八二の業種(営業)および医師等一三三の業種(庶業)について、基本金額に対する差益率、所得率、雑収入率、固定資産税加算率、標準経費率等を示し、実際の使用にあたつては、調査により把握した基本金額についてこれらの比率を適用して計算された所得金額から特別経費(雇人費、減価消却費、地代家賃、遊興飲食税、入場税、借入金利子および貸倒金等)を控除して得た金額を所得金額として算出するようになつている。又昭和三二年分所得業種目別効率表(以下本件効率表という)は同年分の従業員数、在庫品高等の外形標準率により右基本金額を示す比率(以下効率という)の業種目別一覧表であり、甘味喫茶、バー等三五の業種について、三都市、市部、町部の地域別に、従事員、在庫(靴小売等)、テーブル(甘味喫茶等)、椅子(バー等)、釜(すし小売等)、燃料(浴場等)、部屋(旅館)、ドライヤー(美容)等一単位当り(これを効率項目という)の収入金額の平均値を示し、調査により把握した効率項目に効率を乗じて計算した金額になお若干の加算減算を施して右基本金額を算出することになつている。これらのものは、昭和二二年の税制改革により申告納税制が採用されたが、申告納税者の約六割は収支に関する記帳が無いか、又は記帳があつても不正確で記帳だけからでは正確な総収入又は売上額ないし所得を把握し得ないという我国の実情に鑑み、全納税者に対する平等な課税を実現するため、旧所得税法第四五条第三項(昭和二二年法律第二七号所得法税で、昭和三三年法律第三九号による改正前のもの、以下旧所得税法という)の推計課税の為の資料として、昭和三二年一二月大阪国税局において作成されたものである。そして大阪国税局長は、右各表記載の数値が公表されると、税務行政上支障を生ずるおそれあるものとして、同局文書取扱規定に則り、部外に対して秘密を要するものと指定し、本件標準率表の表紙に「秘」、本件効率表の表紙に「部外秘」とそれぞれ印刷したうえ、管下各税署長に対して、部数を特定してこれに一連番号を付し、外部に漏れることの無いよう、厳に注意されたい旨の通達を添えて送付し、その取扱について特に留意せしめていたもので、当時被告人の所属していた堺税務署においては交付簿を作成し各係員に対する右各表の配布、保管状況を明確にしていた。

右の事実によると、大阪国税局長は本件標準率表および本件効率表を税務当局の外部に対し秘匿の必要あるものと認定し、秘密とする旨の指定をなして管下税務署職員に対しその旨の取扱を要請していたもので、これらの各表はいわゆる形式的秘密性を有しているものであることを明らかである。

第二本件標準率表および効率表の実質的秘密性について。

一国家公務員法第一〇〇条第一項の解釈

ところで国家公務員法第一〇〇条第一項は、職員は職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならないと定めているが、ここにいう秘密とは、国家機関が一般的に知られることを禁ずる旨を明示したいわゆる形式的秘密で足りるか、実質的に秘密性あることを要するかについては争いがある。この点について検察官はいわゆる実質的秘密性を有するものはもちろんのこと、いわゆる形式的秘密性を有することをもつて足ると主張する。しかしながら、同法第一〇〇条第一項は職員が職を退き職務上の義務が消滅した後にもなお秘密保持義務を認め、同法第九八条第一項所定の命令服従業務の違反に対してはただ同法第八二条の懲戒処分をもつて臨むにとどまり刑罰を科していないのに対し、同法第一〇〇条第一項の秘密保持義務違反に対しては刑罰を科していることを考えると、秘密にすべき旨の上司の命令に服従しない行為を処罰しようというのではなく、秘密そのものを保護しようとするのが同条の法意であると考えられるところ、秘密が実質的に保護に値するものであつてはじめてその侵害が可罰的なものといわなければならないから、同条第一項の秘密とは、実質的に秘密性あるものとして、刑罰によつて保護するに値するものを指称するものと解するのが相当である。もし、そう解しないと、かつて実質的秘密性を有していた事項が後になつて実質的に秘密性を喪失し、国家機関の秘密指定が形骸として残存するにすぎない場合において秘密保持義務を認めるべき実質的理由が無いのにかかわらず、これを漏らした者を処罰しなければならないこととなつて不当である。したがつて、国家機関が秘密として指定したという一事だけでは、国家公務員法第一〇〇条第一項の秘密保持義務の対象たる秘密に該当しないものと考えるべきであり、検察官の右見解に賛成できない。そこで本件標準率表および効率表が右の意味での実質的秘密性を有するか否かについてさらに検討することとする。

二税務行政における標準率および効率の営む機能

申告納税制のもとでは納税者は自己の責任と自覚において租税法規によつて義務ずけられた納税額を自分で計算し、自発的に申告を行ない、これによつて納税すべき税額が確定するのであるが、一方税務当局も納税者の申告に先だつて納税義務者の所得調査を実施する。その目的は納税義務者の申告の正当であるかないかを判断する為と、納税義務者の申告が無い場合、又は申告が正当でなかつた場合において、自己の調査に基いて更正又は決定をする資料を収集する為である。そして、正確な記帳のある場合には勿論それによるべく、記帳の無い場合又は記帳があつても措信し難い場合には、収入および経費の面を金銭の収支の点から考察するばかりでなく、期首期末における全財産の増減および営業用財産の増減を調べるとともに、課税期間の生計費を調査するなどして実額の調査を実施する必要があり、かくしてはじめて所得が確実に把握されることになる。しかし、このような完全な調査を実施することは現在の税務機構上困難であり、さりとて完全な調査を行なえない者に対して課税しないことは租税の平等性の要請に反するところから、やむを得ない手段として、調査の一部を省略してできる限り正確に近い所得を把握することで満足することが税務行政上要請されざるを得ない。このような税務調査の実態について、証拠(省略)を綜合すると、昭和三二年当時、申告納税者の六〇パーセントを占める白色申告者のうち、前記のような完全な調査(いわゆる収支実額調査)を実施するのは約四ないし一〇パーセントにとどまり、残り(いわゆる基本実額調査は約六ないし一五パーセント、いわゆる実態調査は約二〇ないし三〇パーセント、いわゆる簡易調査は約五〇ないし七〇パーセント)については、一部又は全部の調査が省略され、そのかわりに総収入又は売上額を調査してこれに標準率を乗じて所得額を算出し、又白色申告者の二五ないし四〇パーセントについては効率を適用して総収入又は売上額を算出する(したがつて、かくて算出された額に更に標準率を乗じて所得額を算定することになる)というのが税務調査の実情であつたこと、二月一六日から三月一五日までの申告期間に、税務当局は右調査の結果を把握したうえで納税者に対し申告指導を行なうが、白色申告者の大部分は所得金額はもとより、総収入又は売上額すら自ら把握していない為、いきおい、税務当局の調査結果に近似又は一致する金額をもつて確定申告又は修正申告をなし納税額を確定せざるを得ない結果になること、が認められる。又記帳能力ある納税者が記帳に基いて申告した場合においても、税務当局の調査額と異なるときは、その調査により申告された課税標準又は税額を更正することができ、さらに無申告の場合には右調査により課税標準および税額等を決定する(旧所得税法第四四条)のものとされており、これらのいずれの場合においても推計に基いて(同法第四五条第三項)、したがつて標準率、効率を適用して更正、決定することも可能となつている。

このような税務調査および推計課税において標準率、効率の実際に営んでいる機能に鑑みると、標準率、効率は、白色申告者の相当部分について、税務当局によつて総収入又は売上額、標準経費の認定の為、したがつて、課税標準、税額の認定の為に法則的なものとして適用されているものと認められる。この点について、検察官は、標準率、効率は課税標準認定の為の一資料ではあるが全面的に適用しているのではなくて、申告の当否を検討する為の目安とするにすぎないと主張するが、この見解には賛成できない。(因みに、行政事件訴訟において、標準率を適用して所得額、税額の更正、決定を是認した裁判例は多数あるが、これらの訴訟においては被告たる行政庁は標準率を立証し、その適用を主張しているのであり、税務当局は課税標準の認定について標準率が適用されていることを自認しているものというべきである。)

三標準率、効率の適用と租税法律主義

(一) 弁護人は、旧所得税法第九条は、事業所得について所得はその年中の総収入金額から必要な経費を控除した金額であると定めているが、右のような効率の適用は総収入金額を決定し、標準率の適用は必要経費を決定することになつて、法律によらないで課税標準を決定する結果となるから憲法第八四条(租税法律主義)に違反する、と主張する。国民は法律の定めるところにより納税の義務を負い(憲法第三〇条)、国民に対しあらたに租税を課し又は現行の租税を変更するには法律又は法律の定める条件によることを必要とし(同法第八四条)、いわゆる租税法律主義は憲法上の大原則とされているが、その内容は租税を課する場合には法律の根拠を要するというにとどまらず、納税義務者、課税物件、課税標準、税率等の租税要件について法律で定めるべきものというのであつて、これらの要請に基き所得税法その他各種租税法規が実体上手続上制定されている。事業所得については弁護人主張のように旧所得税法第九条において、総収入金額から必要経費を控除した金額をもつて課税標準たる所得金額とするものと定められてあり、税務当局は所得税を課するについては総収入金額と必要経費を認定して所得金額を決定しなければならないわけであるが、前示のとおり、効率はこの総収入金額を外形標準により認定する資料であり、標準率は標準所得率、裏から云えば標準経費率等を定めたもので右必要経費を認定する資料であり、いずれも課税標準に該当する事実を認定する為に適用されるのであつて、いわば事実認定の領域に属するものであり、租税法律主義で法律事項とされている課税標準そのものを決定するものではない。かかる課税標準の内容は旧所得税法第二章「課税標準および税率」において定められているところであつて、標準率、効率がこの課税標準そのものを決定しあるいは変更するものでないことは明らかであるから、弁護人の右の見解には賛成できない。

(二) しかしながら、当裁判所は、標準率、効率が課税標準そのものを決定し、あるいは変更するものでないとしても、前示のように標準率、効率が課税標準認定の為に現実に適用されている以上、これらを納税者たる国民に対し秘匿することは租税法律主義の精神に照らして許されないものと考える。

租税法律主義は、ヨーロツパ諸国において、国家の課税権の行使に対する国民の永年の闘争の結果憲法上の原則として承認されるに至つたという歴史に照らしても明らかな如く、私有財産制度に基く財産権の絶対に対する国家の課税権による侵害を、法律によつて制限しようとする原則である。租税の賦課徴収に関する実体的手続的規定はすべて国民の代表者で構成されている議会で制定する法律によつて定められなければならず、法律の定める要件と手続によつてのみ国家は租税を賦課徴収することができる。換言すると、課税の実体的手続的限界を法律によつて明らかにすることにより、その限界内の国家の課税権の行使が適法化されるのであつて、これを国民の側からいうと、かかる限界を超えては賦課徴収されない、という意味で国民に対し財産権を保障しているのである。憲法に「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と定め(第九七条)て基本的人権の本質を明らかにし、これらの基本的人権の一として「財産権は、これを侵してはならない」と定め(第二九条)て私有財産権の絶対を保障するとともに、かかる財産権の侵害を伴う国家の課税権の行使について特に「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」(第三〇条)「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」(第八四条)と定めているのはこの趣旨を示したものである。したがつて租税法律主義の要請のもとに制定された租税法は、元来は国家の財政需要の充足という国庫的要請に基くものであつても、ひとたび立法された後は、課税の領域において国民の財産権を保障することを使命とするものとして理解しなければならないのであつて、租税法の第一目的はできる限り多額の金銭を調達することであるとする国庫主義的理解は現行憲法のもとではとうてい容認することができない。したがつて又、国家の課税行為は最も厳格に租税法の覊束を受けるべきいわゆる覊束行為なのであつて、課税権の行使を担当する税務当局は租税法の定めるところにしたがつてのみ課税徴収することができるだけでなく、租税要件事実の認定も経済上確立された原則又は承認された慣行、換言すると論理法則、客観的経験法則にしたがつて行なわれなければならず、これらを無視して税務当局の恣意や主観による認定課税が行なわれてはならない。かように、税務行政においては租税法律主義が貫徹される結果、法的安定性の要請上、税務当局の行なう租税法規の解釈、適用およびその前提たる租税要件事実の認定は納税者たる国民の側において予測されるものでなければならない。いかなる規準にしたがつて租税要件事実が認定されるか、認定された事実に対して如何なる租税法規が適用されるかということを納税者が予測できてこそはじめて租税法の領域における国民の法律生活が安定するのであり、これらの点が不安定で予測不能である限り租税法秩序は成立せず租税法律主義の営む国民の財産権の保障的機能は滅却してしまう。

このような観点から、考えてみると、標準率、効率の前記税務行政において果している機能に照らしてみると標準率、効率は租税要件たる課税標準の認定に適用される客観的経験則としての意義を付与されているのであつて、当然納税者たる国民に予測されるべき性質のものであるといわなければならない。租税特別措置法第二六条第一項が社会保険診療報酬の所得計算について一律七二パーセントを経費とみなして課税標準認定に規制を加えるとともにこれを法律として公布することによつて広く知らしめており、又旧所得税法第四五条第三項が推計課税を宣言するとともに推計に供されるべき資料を挙示してこれを公知せしめていることも、租税法自体右の趣旨を宣明しているものと解することができる。ところが、税務行政の実態をみると、更正又は決定の根拠となつた標準率、効率は、当該更正又は決定においては勿論これらの行政処分に対する再調査に対する決定、審査請求に対する決定においてさえも明示されることなく、取消訴訟になるに至つて税務当局の立証により、はじめて納税者はこれら標準率、効率によつて課税標準の認定がなされたことおよびその数値を知りうることになるのであるが、これらの諸手続を通じて課税標準認定の規準となつた標準率、効率を行政処分を受けた納税者たる国民において知りうる法的保障は全く無いのである。しかし、前説示の理由によれば、標準率、効率を公表すべき旨の規定がないからといつて、これを税務当局の伝家の秘伝として秘匿することが許されてよいものであるとは到底考えられない。

検察官は、標準率、効率を秘匿すべき理由として、標準率、効率は、税務当局の内部の事務処理の規準であつて、これを公表すると実際の所得額がこれらを適用して算出した所得額より高額の納税者に標準率、効率を用いて算出した所得額で申告納税をすませようとする風潮を生じ、又記帳の操作等により過少申告や脱税を誘発するおそれがあり、更に納税者の記帳意欲を減退させ所得計算が平均化し青色申告を中心とする申告納税制度の発展を阻害するおそれがある、又反対に実際の所得額が標準率、効率を用いて算出した所得額より低い納税者に対しては税務当局が個々の具体的な事情を考慮しないで標準率、効率どおりの申告を強制するのではないかという危惧の念を抱かせ徒らに納税について重圧を感じさせることになりかねない、このような次第で標準率、効率は国の租税政策上秘密にしなければならない、と主張する。標準率、効率は後述するように、特定業種を除いてはいまだ全面的に公表されたわけではないから、全面的に公表した場合にどの程度脱税を誘発し、申告納税制に影響を及ぼすかは推測の域を出ないのであるが、先ず実際の所得額が標準率、効率を用いて算出した所得額より低い場合について考えてみると、税務当局が、標準率、効率を公表しても、実額課税が原則であること、したがつて納税者は正確な記帳をする等の方法により、自分の実際の所得を立証することによつて実額以上の税を支払うことを避けることができることを周知徹底させ、納税者の個々の具体的事情を考慮しないで標準率、効率どおりの一律課税を強制するという態度にさえ出なければ、納税者にこれらの率を公表することによつて重圧を感じさせるということはないであろう。問題は実際の所得額が標準率、効率を用いて算出した所得額より高い場合であるが、記帳は単に課税の目的に奉仕するために行なわれるものではなく、元来企業の正常な運営のために行なわれるものであるから、正確に客観的事実に合致した記帳をすることが企業の正常な運営進展にとつて不可欠なものであることを考えると、標準率、効率が公表されたからとつて直ちに、同率によつて算出した額より高い所得のある青色申告者が、白色申告者に変るとは思われず(もし、このようなことをすれば、税務当局から不審に思われ、厳重な調査を受けることとなろう)、証<省略>の当公判廷における各供述によれば、帳簿が複雑になればなる程、売上除外や架空仕入れによる帳簿の改ざんは困難になることが窺われるのであつて、理論的には記帳の操作等による過少申告の可能性がないとはいえないとしても、同率の公表による脱税のおそれが検察官主張のように大きいとは思われないのである。証人<省略>は当公判廷において、標準率、効率を公表すると、同率に合わして過少申告をすれば脱税に合理性を帯び、同率が現に有している申告額の妥当性を検討する秘密兵器としての効力を失うこととなる結果税務行政上支障がある旨供述をしている。かようなおそれもないとはいえないかも知れない。しかし、当裁判所は前示のとおり白色申告者の相当部分について、効率、標準率を適用して推計している事実を重要視すべきものと考えるものであつて、これら白色申告者は経営上からは望ましい記帳をする能力、労力、時間のないために青色申告の特典さえ受けられぬ善良な納税者が大部分を占めている。これらの納税者に対し租税要件たる課税標準の認定に標準率、効率を客観的経験則として適用しながら、巧妙な脱税者に備えて秘密兵器として利用するためこれを秘匿するということは、善良な納税者の租税における財産権の保障の利益を犠牲にして、税務当局の徴税の便宜を計ろうとするものであつて許さるべきことではないと考えるものである。

しかも、毎日新聞社編「税金につぽん」および自由国民社刊行「税金対策の急所辞典」によれば、昭和三一年分の標準率、効率(もつともいずれの国税局のものか分明でない)の相当の部分がこれらの刊行物を通じて公表されており、又証拠(省略)によると、税務署職員は納税相談の際に納税者に対して当該業種目の標準率、効率を教えて申告指導することがあること、酒小売業者団体には標準率、効率を公表したことがあること、証拠(省略)によると、税理士に対しては税務当局においてかなりの程度標準率、効率を発表していること、がそれぞれ認められるのであつて、しかも標準率、効率の数値は、地域的に、又年次的にみて大差の無いことが第八回公判調書中証人<省略>の供述記載や、検察官が昭和三二年分の標準率、効率を九年を経た現在なお秘匿している事実によつて明らかであるから、本件発生当時にはすでに本件標準率および効率表掲載の標準率、効率の大綱はかなり広く知られていたのではないかと推測される(弁護人はこの点をとらえて本件標準率表および効率表掲載の標準率、効率は本件発生当時すでに公知のものとなつていたと主張するがその確証が無い)。そうすると、標準率、効率を公表することによつて生ずる税務行政上の支障の程度は、ますますもつて大きいとはいえず、いわんや国家財政の根幹をゆるがすとか、申告納税制度を崩壊させるといつた程のものでないことはいうまでもない。しかも、脱税のおそれがあるというのであれば、調査を厳重にする等の行政措置によつてこれを防止しうる余地は十分にあるものと考えられる。ところで今更云うまでもなく我国は法治国家であり、租税法律主義、法治主義は国家存立の根本とされている。前示のとおり国家と納税者との間の法律関係を法治主義的に構成することこそ租税法の使命とされているのであつて、標準率、効率を秘匿することによつて徴税上国庫的利益をはかることができるとしても、このような国庫的利益は租税法律主義の原則(国民の課税の領域における財産権の保障)の為には犠牲に供されざるを得ないと考える。租税法律主義にかような優越性を認めることは租税を負担する国民の利益であるばかりでなく、窮極的には租税を請求する国家(法治国家)の利益に帰するのである。

以上の次第で、本件標準率および効率表はその性質上税務当局によつて秘密にされるべきものではなく、いわゆる実質的秘密性を有しないものと考える。

第三結論

被告人の本件行為は国家公務員法第一〇〇条第一項にいう秘密を漏したものということができず、結局本件公訴事実は犯罪を構成しないから、刑事訴訟法第三三六条に則り、被告人に対し無罪を云渡すこととする。

よつて、主文のとおり判決する。(松浦秀寿 小河巌 清田賢)

【参考】大阪高裁第三刑事部、昭和三五年(う)第七四六号、昭和三七年四月二四日判決

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所に差し戻す。

理由

(中略)

本件文書の秘密性の立証として原審において取調べた検察官提出の「標準率表」および「効率表」を見るに、その比率の部分は殆んど黒紙を貼付してあることは原判決説示のとおりであるが、「標準率表」については適用要領の大部分、営業の部の種目表の半ば、表の区分見出し、種目の大半、庶業の部の種目表、表の区分の見出し標準率の数字三カ所等が明らかにされ、「効率表」については、その作成方法、適用地区、効率適用上の留意事項、効率項目の定義および計算等が記載されている「昭和三二年分業種目別効率表について」と題する部分の全部、表の所得業種目別索引の大半、効率表の区分見出し効率の数字三カ所、業種目別売上指数表およびたな卸資産増減指数表の作成方法、活用方法、同指数表索引の大半、および該表の区分の大半等が明らかにされているのであるから、必ずしも比率の数字全部が明らかにされなくとも、その文書の記載内容の大綱を認識することができ、また原審第一三回公判調書の記載によると、検察官は同公判期日において、本件文書が税務行政上の秘密である事実を立証せんがため、証人竹腰洋一、同佐藤健司、同村山達雄および同山下元利の取調請求をしており、これらの証人は当然文書の内容に触れることは予想されるところであり、わが刑事訴訟法において弁護人所論のような英米証拠法上の原則たる最良証拠の法則はなく、文書の内容を証明するについて、文書自体の提出が不能な場合は勿論のこと、たとえ可能な場合でもその文書不提出について首肯すべき合理的な理由がなければないほどこれに替るべき他の証拠の証明力は減殺され、極度に低い場合もあり得るから文書自体を提出するのが普通であるけれども、何らかの理由により必ずしも文書自体を証拠として提出しなくとも、他の証拠によつて証明することは許されるのであるから、右証人らの取調によつて、本件文書の内容を補足立証することができるのである。そして、原判決は本件文書が刑罰によつて、保護されるだけの実質的な秘密性を保有するかどうかについて判断するに当つては、その内容とせられている比率が明らかにされることが不可欠の要件であるとする立場に立ち、前記証人らの取調によつては比率数字が正確に把握されないものと予想し、それが明白になし得ない以上、右文書が国家公務員法第一〇〇条第一項にいわゆる「秘密」であると認めるに由なきものと断じているけれども、本件文書については、さきに見たとおり、比率の部分は殆んど黒紙を貼付しているがその他の記載内容の大綱は認識することができる以上いわゆる「秘密」の判断には数字自体はそれほど重要性をもつものではなく、論旨指摘のとおり、むしろその文書作成の経過方法殊に数字の算出方法、使用目的、実際の適用方法、これを公開することによつて生ずべき税務行政上の支障の有無程度等を明らかにすることによりこれを判断すべきものと解する。してみれば、原裁判所が取調べた検察官提出の「標準率表」および「効率表」(証第六号ないし第九号)の比率の数字の部分が黒紙を貼付して秘匿してあるの故をもつて、比率の部分を明らかにすることができないからとて検察官申請の右証人らの取調をなすまでもないものとして右証人を含む検察官の全証人の取調請求を却下し、直ちに審理終結して検察官に立証の機会を与えなかつてことは、証拠調の請求の採否が裁判所の自由裁量に属するとはいえ、現行刑事訴訟法の当事者主義のたてまえからして、合理的な理由が見出せないので違法なものといわざるを得ない。しかして右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、爾余の論旨に対する判断をなすまでもなく原判決はすでにこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法第三九七条第一項第三七九条第四〇〇条本文を適用して、主文のとおり判決する。(松本圭三 三木良雄 古川実)

松本圭三

三木良雄

古川実

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